title: ナカムラボ

ラザール・カルノーの伝記

はじめに

 ナカムラボの「活動」の第1弾として、ラザール・カルノーの生涯と功績を伝記という形でまとめていきます。
 私の専門分野が「熱と流れ」であったため、熱力学の発展に大きく寄与したラザール・カルノーを対象に選びました。
 西洋史を体系的に学んだこともなく知識も浅いために、ラザール・カルノーが生きた時代、すなわち18世紀の西洋社会を理解するのに大変苦しんでいますが、なんとか完成させるつもりです。

1.序論 
ラザール・カルノー

ラザール・ニコラ・マルグリット・カルノー
Lazare Nicolas Marguerite Carnot
1753-1823(享年70歳)
フランス/ブルゴーニュ/ノレー
政治家、軍人、物理学者、数学者

 ラザール・カルノーは、フランス革命戦争で輝かしい功績を上げた軍人でもありました。私が知っているラザール・カルノーは「熱力学のテキストにたびたび登場するカルノーさん」であったので、フランス革命の英雄でもあることは驚きでした。

フランス革命のバスティーユの闘い
バスティーユの闘い (1789-1799)

 また、ラザール・カルノーの子供や孫も同じように著名であるため、ラザール・カルノーと彼らを区別するために「大カルノー」とも呼ばれているそうです。
 軍事・政治・科学など多くの分野で大活躍し、子孫の活躍も見守り、70歳まで長生きした。とても幸せな人生を送った人のように思います。

2. 生い立ち 

 ラザール・カルノーは、1753年、フランスのブルゴーニュ地方のノレーで生まれた。 彼の生誕地のノレーは、フランス東部のブルゴーニュ地方の小さな町であった。

フランスのブルゴーニュ地方
フランスのブルゴーニュ地方
フランスのブルゴーニュ地方のワイン畑
ブルゴーニュ地方のワイン畑

 ブルゴーニュ地方は、温暖な気候と平坦で耕作に適した土地があり、古くから農耕が盛んな地域です。また、ブルゴーニュ・ワインの産地として、世界的に有名な地方です。

 カルノーの父は弁護士であり、生家は貴族ではなかったが旧い家柄の名門であった。
 カルノーは最初はオートン・カレッジで学び、次に同じ町の小学校で学んだ。カルノーは、オートン・カレッジでは古典と哲学の研究に没頭したという。そして、哲学的知識と研究を強化するためにオートン・カレッジを去り、短期間で論理学、数学、神学を学んだ。

オートンカレッジ
ラザールが通ったオートン・カレッジ (Collèged'Autun)

 1769年-1771年(14-16歳時)、カルノーはパリの砲兵学校と工学学校に通った。その後、メジエール王立工兵学校の受験を許され、1771年に入学した。ここでカルノーは、ガスパール・モンジュ教授の教えを受けている。
 カルノーは、機械工学などの学業分野では抜群の成績を残したと云われている。

ガスパール・モンジュ

ガスパール・モンジュ
Gaspard Monge
1746-1818(享年73歳)
フランス/ブルゴーニュ/ボーヌ
数学者・科学者・工学者・貴族

 モンジュ教授はカルノーの7つ年上であり、解析幾何学の大家でした。
 彼が考案した画法幾何学は、現在でも製図法や構造解析の骨子となっています。

 1773年(18歳時)、カルノーはメジエール王立工兵学校を卒業し、王立工兵隊の中尉に任命された。カルノーはフランス北部の各地の守備隊で勤務しながら、余暇は研究と著述にあて、啓蒙的な思想にも触れていった。
 この頃、ベンジャミン・フランクリンと出会い共に研究している。また、この頃「機械一般に関する試論」などを発表して名前が知られるようになった。
 文学サークルでは、フーシェやロベスピエールと同席したこともあったという。

カルノーの勤務地
カルノーの工兵隊としての勤務地

 カルノーは、工兵隊長(中尉)としてカレー、シェルブール、アラスなどのフランス北部の各地に勤務した。メジエール王立工兵学校での研究には幾何学、力学、幾何学的設計、地理学、水力学、材料準備が含まれていた。理論工学と要塞分野では、カルノーの名は知られていた。

ステータス:作成中
最終更新:2018/10/19
作成開始:2017/10/08
コメント:少しづつ作成していきます。